木桶で造る醤油を後世まで伝えたい
江戸時代まで、発酵調味料は全て「木桶」にて醸造されていました。おいしさの基本は微生物たちが造り出す自然の恵み。しかし時代と共に、コストがかかり割りに合わないという理由で木桶による醸造は減っていきました。このままでは日本の伝統文化が消えてしまうと危機感を覚え、2011年の秋、「木桶職人復活プロジェクト」を立ち上げました。
プラスティックなどのタンクではダメなんです
日本の和食がユネスコ無形文化遺産に登録されました。和食のベースとなる基礎調味料は「醤油」「味噌」「酢」「味醂」「酒」などの発酵調味料です。これらが素材の味を引き立て、旬の食材をより一層味わい深いおいしさに仕上げるのです。
江戸時代まで、こうした発酵調味料は全て「木桶」にて醸造されていました。発酵調味料の全ては、乳酸菌や酵母菌などの「微生物たちの力」によって造られます。人間が造るのではなく微生物が造るのです。よって人間(醸造家)の仕事は彼らが暮らしやすい環境作りのお手伝いをすることです。つまり、彼らにとって最高に居心地の良い環境を創ってあげることができれば、最高においしいものができるのです。
というわけで、なぜ昔から木桶を使って来たかというと、そこにたくさんの微生物たちが暮らせる環境があるからであり、自然の力を借りるためです。おいしさの基本は、あくまで微生物たちが造り出す自然の恵みなのです。だからプラスティックの入れ物ではダメなんです。「木の桶」じゃないとダメなんです。
しかし時代と共に木桶による醸造はどんどん少なくなりました。コストがかかる、割に合わない、というのが一番の理由です。結果、現在木桶を使った天然醸造による醤油や味噌の生産量は全体の1%以下となってしまいました。当時、醸造用の木桶を製造する桶屋さんも残すところ「1社」のみとなりました。 このままでは日本の伝統文化が消えてしまいます。どうにかしなければなりません。
そこで2009年に可能な限りの借金をして、桶屋さんに「新桶」を9本発注することにしました。相当な覚悟が必要でしたが、もう後がありません。その時桶屋さんから言われた一言が強力でした。「醤油屋から新桶の発注が来たのは戦後初だよ。」
桶屋さんに「木桶職人」として弟子入り
しかし、新しい木桶を数本作ったところで、このままだと日本の伝統的な醸造文化が消滅するのは時間の問題です。木桶には「寿命」があるからです。一般的に木桶の寿命は100~150年くらいと言われています。しかし現在使われている醸造用の木桶は戦前に作られたものがほとんどですから、おそらく約50年後にはほぼ全ての木桶が使えなくなってしまいます。そうなると、本物の木桶仕込みの醤油を造ることも、本物を「味わう」という美味なる楽しみ方もできなくなってしまいます。和食を最大限に引き立てる本物の基礎調味料が無くなるという事です。
むろん、我々が生きている間は大丈夫ですが、子や孫の世代には「過去のもの」となっている確率が非常に高いのです。つまり、先祖代々受け継がれて来た伝統を残すということは、言い換えれば「味の記憶」を残すということでもあり、それは先代に対する感謝の思いを後生に「繋ぐ」ということでもあります。ですからここで終焉するわけにはいかないのです。
そこで、これらの問題を解決するため、2011年の秋に「木桶職人復活プロジェクト」を立ち上げました。もしも、自分たちで「木桶」を作れるようになれば、不安が解消されると思ったからです。また、できるかできないかという以前に、もう後が無いのです。やるしかないのです。周りからはアホか。と言われますが、もう一度借金をして「新桶」を3本発注しました。そして2012年の1月、小豆島の同級生の大工たちと共に最後の桶屋さんに弟子入りしました。発注した3本の新桶を使って、作り方を直接教えてもらおうと思ったのです。
修業風景
- 人生初のカンナ掛け
- 側板の組み立て
- 竹箍(たが)を編む練習
- 竹箍を入れる
- 底板についての指導を受ける
真竹を使用した箍(たが)作り
島に戻った後は、竹箍(たけたが)を編むための真竹の選定や確保、道具の調達、箍を編む練習などを繰り返しました。また、師匠より漏れ止め作業や20~30年後の漏れにつながる部分を事前に対処する方法など、様々な木桶の構造や特徴を学びました。そうして試行錯誤すること約2年。夢に見た新桶が自分たちの手によってようやく完成しました。2013年9月20日のことでした。
木材は奈良県の「吉野杉」を使いました。吉野杉は古来より船の材料としても使われて来た銘木ですが、外圧に対して「しなる」という強さがあることから、昔から命を預ける船に利用されて来ました。命を預けると言う意味では木桶も同じです。そこに何万、いや何億という微生物たちが暮らしているわけですから・・・。つまり、木桶は微生物たちの命を乗せて旅をする船でもあるのです。ヤマロク醤油の「鶴醤」は約4年の歳月をかけて熟成させますが、言い換えるならば微生物たちが4年の歳月をかけて旅をしてくれる賜なのです。よって少しでも長く使うために最高の材料を使うのです。
「箍」(たが)には試行錯誤した結果に近所にあった真竹を使うことにしました。組上げる際には、多くの仲間たちが手伝いに来てくれました。木桶は小さな狂いが「漏れ」につながるため繊細な技術を必要としますが、仲間たちの協力のおかげでようやく組上げることができました。
今後も小豆島で木桶を作り、自分たちで作った木桶で醤油を造り続けて行きたいと思います。桶屋としても精進し、志を同じくする醤油屋・味噌屋・お酢屋さんなどの依頼があれば、木桶を製作販売もしていく予定です。情報を共有し、おいしさのネットワークを広げていきたいとも思っています。
木桶ができるまで
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1.正直台(台かんな)で側板の設置面を削る。これをやる
と全身フラフラ。腰が砕けそうになります。 - 2.側板と側板を竹くぎで合わせる。繊細かつ微妙なさじ加減。
- 3.側板を合わせて立て掛ける
- 4.竹たがを編む。竹は小豆島の裏山産
- 5.竹たがを入れる。たがは竹じゃないとダメなんです。塩分の強い木桶ではステンレスなどはすぐ切れます。
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6.作成中はトラブルの連続!白熱した議論が飛び交う
と全身フラフラ。腰が砕けそうになります。 -
7.思いを書き込む。100年後へのタイムカプセルなのだ
といっても誰も気がつかないでしょうが・・・ - 8.最後に底板を打ち込む
- 9.完成したついでに新桶の底裏に6代目予定?の長男「康蔵」の手形をつけて完成。頼むぞ!
- 10.実際に水を入れて仕込んでみる。 2014年1月に仕込みをし、醤油の完成は2017年秋の予定。
小豆島 木桶職人復活プロジェクト
木桶による発酵文化サミット開催
毎年1月に小豆島のヤマロク醤油で行っている新桶づくり。
全国の木桶仕込みの商品に携わるメーカー、
飲食店、流通関係者が集まる活気に満ちた3日間。
木桶をつくって、トークイベントを聴いて、商談会も開催予定。
興味のある方はぜひご参加ください。