ヤマロク醤油五代目

ヤマロク醤油五代目の山本康夫(やまもとやすお)です。
五代目といっても、正確な記録が残ってないので、本当は六代目か七代目かもしれませんが、ばあちゃんの話によると、ばあちゃんのじいちゃんの頃には醤油をつくっていたそうなので、そこから数えて五代目ということにしています。

創業150年くらい

創業150年くらい

創業は歴史背景的に見て、江戸時代の終わり頃~明治の初め頃だと思いますが、記録が無いので正確なことはわかりません。
尚、ヤマロクが醤油屋としてデビューしたのは昭和24年で、それまでは醤油を搾る前の「もろみ」を卸販売する「もろみ屋」でした。三代目が醤油を搾る圧搾機を導入して醤油屋になりました。

ルーツは兵庫県の赤穂

ルーツは兵庫県の赤穂

山本家のルーツは、忠臣蔵で有名な播磨国(兵庫県)赤穂藩から小豆島にやってきた、塩浜師と呼ばれる塩づくりの技術者と伝えられています。現在小豆島には大小20軒弱(明治の最盛期は大小約400軒)の醤油メーカーがありますが、山本、塩田、藤井という名字の醤油屋は赤穂がルーツとされています。元々小豆島は江戸幕府の天領(直轄地)として塩づくりが栄えた島ですが、新技術を持ち込み、塩づくりを産業化へと発展させるきっかけを作ったのが、赤穂の技術者たちでした。赤穂に続き小豆島の塩は「島塩」ブランドとして人気を博し、品質共に全国2位の生産量を誇るまでに拡大しました。

ところがその後、瀬戸内 海沿岸のいたるところで塩をつくり出したことから、過剰生産となり、幕末に塩バブルが起きてしまいます。製塩業は急激に衰退し失業者が増大。加えて塩をつくる燃料として山の木々を乱伐したことで、島は度々干ばつに見舞われるようになっていました。元々耕地面積が少ない島では農業だけで食べていくことは至難の業。そこに人災とも言える自然災害が追い打ちをかけ、餓死者が出るほど深刻な事態に陥ります。こうして時代は厳しい局面を迎えますが、ここから塩を使った二次加工としての醤油造りが本格化して行きました。

ヤマロクの歴史写真

  • ヤマロクの歴史写真
    昭和25~30年頃

    昭和25~30年頃の写真。手前煙突のある建物がヤマロク醤油。向かいの山がかなり開墾されてます。

  • 現在
    現在

    同じ場所(山)に登ってみました。現在は、木がうっそうとした元の雑木林になっていました。

  • 昭和25~30年頃
    昭和25~30年頃

    昭和25~30年頃の写真。今とほとんど変わってません。

  • 現在のヤマロク醤油
    現在

    現在のヤマロク醤油

  • 大正12年
    大正12年

    大正12年。左奥は二代目(坂下昇)の父。樽に書いてある「二平」は坂下家の屋号。
    (現:ヤマス 坂下醤油)

  • 二代目、坂下昇
    二代目、坂下昇

    左から2番目が二代目の坂下昇(ひいじいちゃん)。初代の山本藤太郎に後継ぎが出来なかったため、坂下家より婿養子になりヤマロクを受け継ぎました。農協の組合長を務めるなど地域からの信頼も厚かったそうです。

  • 三代目の「もろみ混ぜ」
    三代目の「もろみ混ぜ」

    三代目の坂下望(じいちゃん)。二代目同様後継ぎが出来名かったため、坂下家より婿養子としてヤマロクを受け継ぎました。

  • 三代目(坂下望)と家族
    三代目(坂下望)と家族

    三代目ヤマロク【坂下望(上段右)】と家族。中央がお母さん。左の小さい子が坂下一朗さん(現小豆島町長) 一朗さんの話によると三代目はこの頃、誰も手が付けられない荒くれ者だったとか。 昭和10年頃。坂下邸にて。

  • 戦時中の三代目
    戦時中の三代目

    昭和18年。時代は太平洋戦争まっただ中でした。写真は一時帰国した三代目(左)と坂下一朗さん(現小豆島町長-右)

  • 戦後の復興期
    戦後の復興期

    戦地から戻った三代目。人が変わったように勤勉に働いたそうです。日本は戦後の復興に沸いていました。昭和20年ころ

  • 四代目誕生
    四代目誕生

    四代目(山本健司)1944年(昭和19年)生まれ。山本家待望の男の子でした。

  • 昭和24年に据えた圧搾機
    昭和24年に据えた圧搾機

    昭和24年、三代目が醤油を搾る圧搾機を導入し、黄金期を迎えます。今も現役。2009年で60年目突入です。

  • 三代目と四代目(昭和30年頃)
    三代目と四代目(昭和30年頃)

    昭和30年頃の写真。三代目、四代目と従業員。上段左から2番目が三代目。下段左から2番目の子どもが四代目。戦後最大の最盛期を迎え、みんな楽しそうです。第一次ベビーブームと呼ばれたこの時代、島の人口は現在の2倍の6万人を越えていました。

  • 四代目と近所のお友達(昭和30年代)
    四代目と近所のお友達(昭和30年代)

    四代目ヤマロク(写真左)とお友達 昭和30年代。

  • 四代目と自転車
    四代目と自転車

    ハイカラです。この時代、勢いに乗っていたヤマロク醤油の三代目は、いち早くテレビを購入したそうです。地域に2台しかなかったうちの1台がヤマロクにあったのだとか。

  • 四代目の「地獄のもろみ混ぜ」
    四代目の「地獄のもろみ混ぜ」

    手間がかさみ経営効率の悪い『鶴醤』(再仕込み醤油)を数十年間ぶりにを復活させた四代目ヤマロクの「地獄のもろみ混ぜ」。
    時代に流されず、信念を貫きました。

  • 五代目ヤマロク「山本康夫」(昭和50年代)
    五代目ヤマロク「山本康夫」(昭和50年代)

    五代目ヤマロク(写真中央)は第二次ベビーブーム(団塊ジュニア)の1972年生まれ。

  • 世代交代 平成13年(2001年)
    世代交代 平成13年(2001年)

    30歳を目前に東京からUターンした五代目。「地獄」を譲り渡される・・・。そのあと四代目が突然の病に倒れ現役引退。今はすっかり元気です。

  • 五代目「地獄のもろみ混ぜ」
    五代目「地獄のもろみ混ぜ」

    「地獄」を譲り渡された五代目ヤマロクの「もろみ混ぜ」一樽一樽に思いを込めます。