小豆島 ヤマロク醤油、五代目物語。

醤油屋は儲からん。

地元の高校を卒業後、僕は大学に進学するため島を離れました。本当は島にいたかったのですが、親父に 『醤油屋は儲からんから後を継がんでもええ』
と言われ、とりあえず進学することにしました。大学生活はそれなりに楽しく過ごしていましたが、就職活動の時期がやってくると、やっぱり島に戻りたくなってきました。そこで、島に戻る口実として、島の企業に就職しようと考えました。結果、コネを駆使して島の佃煮メーカーに就職。これでやっと島に戻れるとウキウキしていました。
と、そこまでは順調だったのですが、途中からなんとなくいやな予感がしていました。僕に与えられた仕事は営業職。はい、みごと大阪勤務を言い渡されてしまいました・・・。

山本康夫

『食』の世界に足を踏み入れる。

結局、島に帰ることはできず、次は社会人として、再び都会でのリターンマッチがはじまりました。『食』の世界に興味があった僕は、張り切って社会人生活の一歩を踏み出しました。ところが現場に足を踏み入れてみると、そこは自分が思い描いていたイメージとは少し異なった世界でした。
いいものをつくっても売れるとは限りません。素材にこだわったり、一生懸命いいものをつくっても安く買いたたかれてしまうのが常。逆に添加物を加えて日持ちするもの。化学調味料を加えて単価を下げたもの。中身を変えずにデザインやパッケージなどの見栄えだけを良くしたものなど、本来の『食』の追求ではなく、コストバリューの追求が市場において強い影響力を持っていることを知りました。食の業界に身を置きながら、僕は次第に様々な疑問や、強い苛立ちのような思いを感じるようになりました。

顔の見えるものづくり。

努力して一生懸命つくったおいしいものを、必要とするする人たちに直接届ける仕組み。手間暇かけて育てたものを適正な価格で評価され、売れる仕組み。
言うなれば作り手と買い手、双方の顔が見える買い方の仕組みが、『食』の安全と味の追求。両者のより良い関係づくりにおいて、とても重要なものではないかと考えるようになりました。また、ものづくりにおいて、作り手がお客様の笑顔をイメージしながらつくるものと、そうでないものとの間には、目には見えないけど確実になにか温度差や味の差があると感じるようにもなっていました。
お客様の顔が見えるからこそ、ものづくりにも力が入る。一方、お客様は作り手の顔が見えるからこそ、安心して食べられる。そういったお互いが笑顔になる仕組み。方法はないものかと次第に考えるようになりました。そしてある時、もしかしたら自分の家でなら、それができるかもしれないと思いました。

 『そうだ、蔵、継ごう。』

 島を出て10年が過ぎようとしていました。

地獄の入り口

都会で過ごした経験と夢を胸に、意気揚々と島へ帰ってきたのはいいのですが、さっそく先制パンチを浴びました。
帳簿を見て僕は愕然としました。

『とてもじゃないけど、こんなんじゃ飯食ってけない・・・』

親父とおふくろ二人がなんとか飯を食うのがやっとという数字でした。
結婚し、新しい家族も増えていました。

(僕) 親父!どういうことなんや、この数字は…
(父) そやから言うたやろ、儲からんから継がんでえいって…

(僕) そうやけど・・・
(父) でも、せっかく帰ってきてくれたからな、地獄はぜんぶお前に譲るよ。

(僕) 地獄?
(父) やってみたらわかる、わかる。じゃ、後はよろしくたのんだで。
(僕) ・・・

後になってわかったのですが、春から夏にかけて急激に発酵するもろみを混ぜる作業のことを、親父は 『地獄のもろみまぜ』 と呼んでいました。全て手作業の重労働に加え、もろみの発酵熱で40℃を越える樽の上は、正に天然サウナ。毎日汗だくになりながら樽の一つ一つを丁寧に混ぜていかなければなりません。疲れたからといって一日サボると、お返しに次の日は3倍のしっぺ返しが来る。1時間で混ぜ終わるものが3時間。2時間かかるものなら6時間。つまり発酵が始まったら一日も休めない。休んだ分だけ地獄は倍増する。一方冬になれば裏山(寒霞渓)から吹き下ろす通称『かんかけおろし』が寒いのなんの。足元から冷えがはいのぼってきます。夏暑く冬寒い天然蔵は、正に地獄の蔵なのでありました。

金食い虫の蔵

蔵を残していくためには、たくさんのお金が必要なこともわかりました。杉樽の寿命は約150年と言われていますが、心配になったので大阪の樽職人さんに診断してもらうことにしました。すると、既に使い始めて150年が経過しているとのことでした。ま、マジっすか・・・
全て手作りの大樽は1本新調すると500万円。加えて杉樽職人が少なくなっていることも考えると(現在国内に4名ほど)早急になんとかしないといけません。その他、土壁など蔵の補修や機械類の修繕費など、蔵を維持し残していくためには実にたくさんのお金がかかる。つまり家族が飯を食うだけのお金を稼ぐ以上に、蔵の面倒も見なければなりません。蔵を守っていく苦労は生やさしいものではありませんでした。後を継がなくてもいいと言った親の気持、意味がようやくわかったのは30歳を過ぎた頃でした。

あるものをそのまま見せる

いろいろ考えた末に、『あるものをそのまま見せる』 ことを思いつきました。
自分たちが大切しているものを、つくり方など製造工程も含めて、ぜんぶお客様に見ていただく。目で確かめ、味や香りを確かめ、その上で気に入ったならば商品を使っていただく。結果も大切だけど、まずはお客様とのコミュニケーションを大切にしよう。また、代々受け継いで来た島の伝統や先代たちの努力、苦労。それらを自分の代で終わらせるわけにはいかないとも思いました。一人でも多くの人にありのままを見てもらい、知ってもらうことが今一番大切なことだと考えました。

旅する蔵

苦節5年。少しずつですが口コミが広がり、全国各地からたくさんのお客様が蔵を訪ねてくださるようになりました。そしてなにより、日々お客様とコミュニケーションを続けるうち、僕は醤油造りが大好きになりました。もう毎日が楽しくって仕方がない。だって、1年中同じ場所にいるのに、全国各地のいろんな人と知り合うことができる。だから旅する必要がない。いやいや、『蔵』があって本当に良かった。そう思うと、ますます『蔵』が愛おしくなってきます。そしてもっともっとおいしい醤油、日本一おいしい醤油をつくりたいと思うのです。
また、人にはそれぞれ性格や個性があるように、樽にも一つ一つ性格や個性があることもわかってきました。太陽の光の当たり方や、菌が多く住む土壁からの距離によっても味に違いがでるし、その年の天気によっても味が変わってくる。一樽一樽ぜんぶ味が違う。同じことを繰り返しているように見えて、同じものは一つもありません。天然醸造はシンプルゆえ、とてつもなく奥が深い世界なのです。

『食』を通した笑顔のコミュニケーション

作り手と買い手の『食』を通したより良い関係。笑顔のコミュニケーション。描いていた夢に少しずつ近づいていると感じています。加えて、これからは先代より受け継がれてきた伝統ある島の産業を守り抜いていくための努力。せめて向こう100年。自分たちの孫の代まで残す努力をすることが、今の僕たち世代に課せられた宿題だと思っています。時間やお金を搬出しては、少しずつですが、もろくなった蔵の壁や樽の修復作業を始めています。地獄はまだまだ続きますが、生産者とお客様、双方の顔が見える『食』を通したより良い関係づくりを進めていきたいと考えています。
今僕がこうして楽しく醤油づくりに励めているのは、お客様お一人お一人に支えられているからこそ。あらため、小豆島の海や山、自然に感謝。先代に感謝。蔵に感謝。そしてお客様から頂いた、ありがとうの言葉と笑顔に感謝。

ヤマロク醤油 五代目 山本康夫