ヤマロク醤油の歴史

#001 ヤマロク今・昔

昭和25年頃の小豆島 安田地区

昭和25~30年頃の写真。手前煙突のある建物がヤマロク醤油。向かいの山がかなり開墾されてます。

現在のヤマロク醤油

同じ場所(山)に登ってみました。現在は、木がうっそうとした元の雑木林になっていました。

#002 ヤマロク今・昔

昭和25年頃のヤマロク醤油

昭和25~30年頃の写真。今とほとんど変わってません。

現在のヤマロク醤油

現在のヤマロク醤油。

#003 大正12年

大正12年頃

大正12年。左奥は二代目(坂下昇)の父。樽に書いてある「二平」は坂下家の屋号。
(現:ヤマス 坂下醤油)

#004 二代目、坂下昇

二代目ヤマロク、坂下昇

左から2番目が二代目の坂下昇(ひいじいちゃん)。初代の山本藤太郎に後継ぎが出来なかったため、坂下家より婿養子になりヤマロクを受け継ぎました。農協の組合長を務めるなど地域からの信頼も厚かったそうです。

#005 三代目の「もろみ混ぜ」

三代目ヤマロク

三代目の坂下望(じいちゃん)。二代目同様後継ぎが出来名かったため、坂下家より婿養子としてヤマロクを受け継ぎました。

#006 三代目(坂下望)と家族

三代目ヤマロクと家族

三代目ヤマロク【坂下望(上段右)】と家族。中央がお母さん。左の小さい子が坂下一朗さん(現小豆島町長) 一朗さんの話によると三代目はこの頃、誰も手が付けられない荒くれ者だったとか。 昭和10年頃。坂下邸にて。

#007 戦時中の三代目

三代目ヤマロク、坂下望(左)

昭和18年。時代は太平洋戦争まっただ中でした。写真は一時帰国した三代目(左)と坂下一朗さん(現小豆島町長-右)

#008 戦後の復興期

三代目ヤマロク

戦地から戻った三代目。人が変わったように勤勉に働いたそうです。日本は戦後の復興に沸いていました。昭和20年ころ

#009 四代目誕生

四代目ヤマロク

四代目(山本健司)1944年(昭和19年)生まれ。山本家待望の男の子でした。

#010 昭和24年に据えた圧搾機

圧搾機

昭和24年、三代目が醤油を搾る圧搾機を導入し、黄金期を迎えます。今も現役。2009年で60年目突入です。

#011 三代目と四代目(昭和30年頃)

三代目と四代目ヤマロク

昭和30年頃の写真。三代目、四代目と従業員。上段左から2番目が三代目。下段左から2番目の子どもが四代目。戦後最大の最盛期を迎え、みんな楽しそうです。第一次ベビーブームと呼ばれたこの時代、島の人口は現在の2倍の6万人を越えていました。

#012 四代目と近所のお友達(昭和30年代)

四代目ヤマロク

四代目ヤマロク(写真左)とお友達 昭和30年代。

#013 四代目と自転車

四代目と自転車

ハイカラです。この時代、勢いに乗っていたヤマロク醤油の三代目は、いち早くテレビを購入したそうです。地域に2台しかなかったうちの1台がヤマロクにあったのだとか。

#014 四代目の「地獄のもろみ混ぜ」

地獄のもろみ混ぜ

手間がかさみ経営効率の悪い『鶴醤』(再仕込み醤油)を数十年間ぶりにを復活させた四代目ヤマロクの「地獄のもろみ混ぜ」。
時代に流されず、信念を貫きました。

#015 五代目ヤマロク「山本康夫」(昭和50年代)

五代目ヤマロク「山本康夫」

五代目ヤマロク(写真中央)は第二次ベビーブーム(団塊ジュニア)の1972年生まれ。

#016 世代交代 平成13年(2001年)

五代目ヤマロク「山本康夫」

30歳を目前に東京からUターンした五代目。「地獄」を譲り渡される・・・。そのあと四代目が突然の病に倒れ現役引退。今はすっかり元気です。

#017 「どっちの料理ショー」出演

四代目ヤマロク

テレビ番組「どっちの料理ショー」に出演した四代目。時代を追わず、頑なに伝統を守り抜いてきた四代目。「ようやく時代の風がこっちに吹いてきた。」がこの頃の口癖でした。2004年6月

#018 五代目「地獄のもろみ混ぜ」

五代目「地獄のもろみ混ぜ」

「地獄」を譲り渡された五代目ヤマロクの
「もろみ混ぜ」一樽一樽に思いを込めます。

#019 家族写真 榊原郁恵さん、熊田曜子さんといっしょに

家族写真

左から熊田曜子さん、四代目と次男康助、榊原郁恵さん、ばあちゃん(山本むつ子)、
五代目と長男康蔵、五代目嫁(山本真由美-沖縄出身)、スタッフのさえちゃん、
母(山本眸)、五代目妹。 「ニッポン旅×旅ショー」の収録にて(2007年)

もろみちゃん